妊活と妊娠、子どもの名前を決めるお話。
幼少の頃から雨が嫌いではない私は出来るだけ傘を差さぬように生きております。
雨の降る前の匂いや雨が降ったときの匂いが好きなんですよね。
家の中で降る雨を見ながら飲む、そば焼酎のお湯割りが好き。
そんな私も、今年の9月に子どもを授かることになりました。かねてから欲しかったので計画も立てていたのですが、少し計画も遅れてしまい、まぁ人の命を授かるところに計画通りなんていかないですよね。と思いつつやっと巡り合えた子どものお話を本日はしていきたいと思っています。
【本日の献立】
結婚まで
まず、うちの奥さんとの馴れ初めを簡単に。
私が働いていた職場に奥さんが転職していらっしゃって、それが出会い。
初めて会った時にピーンときた私は奥さんにブラジル代表の攻撃陣並みにアプローチを繰り返し(途中、ファールを冒しそうになったこともあるが)、何度も食事に連れ出し、おいしいとこ巡りをしながら、距離を縮め、お付き合いに発展し、結婚までたどり着いたよくあるパターンと言ってしまえばよくあるパターンなのですが、今日のお話からはそれるのでここらへんに。
子どもをつくろう
結婚をしてすぐに、というわけではないのですが、奥さんとはお互い「30までには子ども欲しいよね」なんていうちょっと前の社会でよく言われたことをそのまま鵜呑みにして考えていました。しかし、子どもを作るとなると養育費や家の問題などが山積していることに気付き、
「うちって子ども育てられんの」という大きな不安
が芽生えてしまって、一歩踏み出せませんでした。
しかし、このとき奥さんに
「子どもができないとできない覚悟もある」
的なお話をされ、確かにそうだと思った私は、子づくりに励むことになったのです。
子どもを授かるにしても、「何月生まれの子がいいのか」ということを考えてしまうのが教育業界の思考パターン。「4月生まれの子と3月生まれの子では、特に幼少期に差が出るよね」(実際はそんなこともないんだけどね)なんて話をしながら、出産のタイミングから逆算して子どもを作ろうなんて考えていました。ですが、これまでの夜の営みとは違い、子どもを授かるんだという神秘的な営みに及び腰になってしまったのか、当初はうまくいかず、奥さんをイラつかせてしまうことも多々あり。一方で、「継続こそ力なり」ではないですが、何度も「だめだったか」と肩を落としつつも、毎月頃合いをはかって、着実に営みを繰り返し、子どもを作ろう!となってから半年がたちました。
ちなみにうちの奥さんが使ってたサプリはこれ
その年は、というかうちは毎年、年末年始は奥さんの実家で過ごすのですが(ちなみに、正月から仕事があるのでそんなにゆっくりしてられません)年末休みに入ったころから奥さんの調子が良くない。これはいかがなものかと思い安静にさせていたのですが、大みそかの夜に熱を測ると39度以上の高熱が!Σ(゚Д゚)これはいかんぞと思い、元旦から救急外来で診てもらうことに。
仕事柄この時期のインフルエンザはご法度なのですが、そんなことも言ってられないくらいに奥さんが心配に。職場にも休みの連絡を入れ、検査を待つことに。あの鼻の中に突っ込まれるアレをくらい、インフルエンザを確認する際に、はっと思い出したように、「これ妊娠してたら、薬とか飲めないんじゃね」と思い出し、看護師さんに「今、子どもを授かろうとしていて、現在妊娠しているかもしれないので薬はどうしたらいいでしょう」と聞いたところ「じゃあ妊娠検査もしちゃいましょう」とあっさり。こんな形で妊娠検査なんてしたことなかったものだからどっきどき。
控室でいろんな検査結果を待ちながら、待つこと数分。
出てきたお医者さんが「陽性です」と一言。
「ん?妖精?プリキュアかな?陽性って何が陽性なんですか?」と聞いたところ
「どちらも陽性です。」と。(お医者さんも楽しんでいたのかな)
頭の中がいろいろと混乱する中で看護師さんが一言
「おめでとうございます」
この言葉で今何が起きてるのかを実感した私は、インフルエンザ陽性の奥さんに抱き着き、無事翌日40度超えの高熱を出し、インフルエンザになりましたとさ。(職場の皆さん大変ご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした)
さぁ、子どもを授かったゾ
ということで無事妊娠をして、この先何をすればいいのか浮足立つ私をしり目に、奥さんは着実に、そして淡々と準備を進めていく。しっかりしているなと思いながらも私はウッキウキでベビーベッドやベビーカー(最近のはすごいですね)をネットで探しながらニヤニヤ。そして大事なことを思いつくのです。
「なまえきめなきゃ!!!」(あほっぽい)
奥さんも「そうね」と一応相槌は打ってくれたので、その日から名前を決めよう大作戦が始まりました。
実をいうと私は子どもにつけたい名前が当初から決まっていたのですが、それよりも名前に託す思いというのがありました。
それは、「名は体を表す」との言葉の通り、子どもの名前には親の思いを託したいとかねてから思っていたのです。最近のDQNネームといわれるものに反対するわけではなく、むしろあれは表音文字として音に意味を託しているので、漢字で表記するといかがなものかと思うのですが、一定の理解は示しています。そんなことはさておき、うちは子どもの名前にどんな思いを託せばいいのか、考えものでした。
こういうときは自分の名前と向き合ってみることが大事なのでは、と親に名前の由来を改めて聞いたところ「そのときテレビに出てた人の名前(有名人ではない)でこれだと思ったものをつけたのよ」と衝撃の返答が。
これではあまり参考にならないなと思いながらも、母親の話してくれた思い出話の中に
「毎年お寺さんにお参りに行くと、私の背中をさすりながら「落ち着きのある子に育ちますように」と言っていたのに叶わなかったわね」という話を聞いて、確かにそんなこともあったなとしみじみ。私も、子どもに託す思いもこれなのではと思い、「うちの子には、自分のことを律することのできる人になってほしい」という思いを託すことにしたのです。
字数との戦い
子どもへ託す思いが決まった今、それをどのような名前として残すのかが問題に。
あれやこれやと考えるうちに、ぶち当たったのが字数・画数問題。
あまりこういったものを信仰する夫婦ではないのですが、やはり我が子に何かあったとき字数が・・・なんて言われるのが心配だから調べてしまう。
すると、候補にしていた名前のほとんどが凶。
「俺名前つける才能ないのかな。」と落ち込みながらも、奥さんがその思いにだけ拘らずに「音も付け加えてみようよ」的な話をしてくれたことをきっかけに、今つけようとしていた字にもう一音加えてみると、なんかすごくいい字数に。これに何か運命的なものを感じた私たちはもうその日からお腹の子に向かって名前を連呼。その後、名前を考えるのにはまってまだ出来もしない次の子のまで決めてしまいましたとさ。
最後に
子どもを作ること。子どもを作ることをまだまだ考えていなかった私にとって、とてつもなく大きな機会になりました。先のことを考えると不安ですが、親となった人たちの誰しもが直面したものだと考えると、自分もついに親になる日が来たのかと身が引き締まる思いです。自分の場合は、よくできた奥さんに支えられてやっと踏み出せたようなものですが、子どもを育てることはいろんな人に支えられることだと思います。今度お話しますが、移住の話も子育てからきています。人生の岐路の中で大きな転機を迎えた今、とにかく夫婦で楽しんで向き合っていけたらと考えています。
【今、妊活に励んでいらっしゃる方へ】
私自身、子どもを授かるのがこんなに大変だなんて思っていませんでした。世の中にはもっと苦労されている方がいらっしゃると思いますし、今現在頑張っていらっしゃる方もいるかと思います。今の私に言えることはただ一つ。「継続すること、あきらめず、夫婦でサポートしながら臨むべき」ということです。
みなさまのもとにも幸せな子どもが運ばれてきますように。
では、今日はこのあたりで失礼します。